食事がつくる発達障害③の2 過剰な清潔志向

腸内環境悪化の原因 その4 過剰な清潔志向

もともと日本人は清潔好き。世の中抗菌・抗ウイルスグッズであふれています。

除菌、消臭、殺菌はルームスプレーやトイレの芳香剤、洗濯洗剤や柔軟剤、お掃除グッズ、あらゆる場面で使用されているのが当たり前の風景。特にコロナ禍以後、ますますマスクや手のアルコール消毒が津々浦々に浸透しました。

でも、ちょっと待ってください。その除菌、抗ウイルスが、腸内細菌にダメージを与えるって、ご存知ですか?

腸内細菌にダメージを与えるという事は、腸内環境を乱して、発達障害にも影響を与える可能性が高いという事に繋がります。 

実は、生物の身体には長ーい長ーい地球の歴史とともに先住者である細菌やウイルスなどの微生物と共生して生きる機能が内蔵されています。その代表が腸内細菌。多種多様な腸内細菌の集まりは腸内細菌叢や腸内フローラとも呼ばれます。同様の細菌叢は、腸以外で外界と接する皮膚や粘膜(気管や肺の粘膜、膣など)にも存在し、身体にとって有害な微生物が定着するのを身体を張って防ぐことで、私たちの身体を守ってくれていることがわかっています。

抗菌グッズたちは、有害な微生物とともに、私たちの身体に必要不可欠な腸内細菌にまでダメージを与えます。腸内細菌がダメージを受けると、腸内環境が悪化し、自律神経やホルモン、などを介し脳に多大な影響を与えます。つまり、思考力、判断力、認知機能などが影響を受けかねないという事です。当然、認知症や発達障害とも無関係ではいられませんね。

また有害な微生物を攻撃する身体のシステムが「免疫」です。細菌叢が存在する皮膚や粘膜では、多くの免疫細胞が待機していて、常時有害微生物の侵入に目を光らせ、侵入を未然に防いでくれているはずです。

つまり、皮膚や粘膜の細菌叢はそれぞれに陣地をはって外敵が定着するのを防ぎ、万一侵入しそうになったら免疫細胞が攻撃してくれているんです。

もしも、国をまもってくれる自衛隊が毎日の訓練を怠って、休憩していたらどうなるでしょう?実際に敵が侵入してきたとき、実働部隊は素早く対応することができるでしょうか?

「常時多少の有害微生物の侵入」があることこそが、免疫細胞の「訓練」になっていることをご存知でしょうか?人との接触を避けて抗菌グッズを使いまくり、マスクで病原体の侵入を防ぎ続け、消毒をし続けるという事は、陣地をはって敵の侵入を妨害してくれる細菌叢を壊し、免疫細胞に「訓練」のチャンスを与えず、自ら敵に立ち向かう免疫力を落とし続けていることに他ならないのです。コロナ禍以後そうした生活を強いられた私たち、みんなの免疫が低下している証拠に、かつてないほどのインフルエンザその他の感染症の流行が子供を中心に問題になっています。

感染症科の医師は、有害微生物の専門家ですが、感染症の予防には微生物を避けることしか提案してくれず、免疫を育てることは一切教えてくれません。彼らがこんな本を見てどう思うのか、わかりませんが・・・

さあ、今日から、偏ったテレビの報道に惑わされず、適度な不衛生で、免疫を鍛えましょう!!

適度な不潔が免疫を育てる。 – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info) 2021年8月の当ブログの記事です・・・

※本当に恐ろしい微生物の流行なのかどうか、回避し続けるべき時期なのか、利権や権威に左右されず、国民の健康、幸せを本当に考えた政策・報道を行ってくれる日本になってほしいと切に願います。

食事がつくる発達障害③の2 食環境の荒廃

腸内環境悪化の原因 その3 食環境の荒廃

実は現代人の多くの腸内環境は劣悪です。その大きな原因が現代の食環境にもあります。

当然、劣悪な食環境は発達障害の増加に関連するであろうことが指摘されています。

人類の数百億年の歴史において、飢餓に苦しまなくなった現代、飽食と呼ばれる現代の私たちを取り巻く食環境は、人類がいまだかつて経験したことのないものなんです。

それが「新型栄養失調」 飽食の時代特有の栄養失調は、他人ごとではありません。

現代の食環境

 砂糖の過剰:悪玉細菌の増殖、血糖値の乱高下

 ・加工食品:食品添加物、人工甘味料

 ・油:トランス脂肪酸、加熱処理、遺伝子組み換えの原料

 ・遺伝子組み換え作物と農薬⇒食物・原料・家畜への影響も

 ・土の栄養低下⇒農作物自体の栄養価の低下(連作、農薬)

詳しくは、2021年6月14~20日の投稿「新型栄養失調」をご参照下さい。

新型栄養失調って知ってますか? – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

パック野菜、コンビニ弁当で新型栄養失調  – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

調味料で新型栄養失調 – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

食品添加物で新型栄養失調 その1 – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

食品添加物で新型栄養失調 その2 – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

低下している食材の栄養価 その1 – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

低下している食材の栄養価 その2 – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

新型栄養失調 最終章 – bihada kokoro eiyo (i-vitaminheart.info)

食事がつくる発達障害①の2 神経伝達物質と脳機能

発達障害は一般的には脳の機能の障害ととらえられています。

現に、前回ご紹介した成田奈緒子先生の著書にも、脳機能の発達の順序が違うと、発達障害もどきの症状が起こると記されていました。

では、脳の機能が正常とは、いったいどんな状態でしょう?

正常な脳機能

脳は、細長い神経細胞がぎっしり詰まってネットワークを作り、情報を伝達している場所です。情報の伝達は、上流の神経と下流の神経のつなぎ目(シナプス)において、神経伝達物質を受け渡しする事で行われています。

必要な情報が、必要な時に適切に伝達される、つまり脳の機能が正常に作動するには、神経伝達物質がバランスよく作られることが重要で、

神経伝達物質を作るには、必要な栄養素が充足していなければならないのです。

逆に、脳の機能が低下しているとは?

脳機能の低下

神経伝達物質の・材料が不足している状態と・材料を作るために必要な酵素のDNAにトラブルがある状態、です。

さて、どちらの影響が大きいでしょう?

もちろん栄養不足にも程度があるし、遺伝子トラブルにも程度がありますから、どちらとも言えませんが、ただ、言えることは、変えることができない遺伝子トラブルがあっても、環境や食事で症状を変えることができる、という事です。

実は脳は、栄養の影響を最も大きく受ける臓器なんです!

脳内には、抑制系、調節系、興奮系の3つの系列の伝達物質があります。

それぞれの系列のスタートとなるのはアミノ酸(タンパク質が消化されたもの)で、酵素が働いて順々に代謝され、目的の物質を作っているわけです。酵素の主原料もタンパク質ですが、その化学構造の中身はミネラルを含むことが多く、また、酵素が働くためには補酵素であるビタミンも不可欠です。

例えば、調節系の神経伝達物質、別名幸せホルモンと言われている「セロトニン」の代謝を見てみましょう。

調節系伝達物質の代謝

セロトニンが不足すると、不安やこだわりが強い イライラしやすい、怖がり、パニック睡眠が上手く摂れない、などうつのような症状が現れます。実際、最もポピュラーな抗うつ薬の一つはセロトニンの量を増やすように設計されています。

右図のようにセロトニンを作るにはまずスタートとなるトリプトファンというアミノ酸に、鉄、リチウム、マグネシウムなどのミネラル、葉酸、ナイアシン、ビタミンB6というビタミンB群などが不可欠です。何かが欠けると、この代謝の流れがスムーズにいかず、必要なセロトニンを作れず、セロトニンから代謝されてできるはずの、別名眠りのホルモン「メラトニン」も作られなくなるのです。

神経伝達物質のアンバランス

神経伝達物質のアンバランスは、右のような症状を起こしますが、これらの症状が発達障害で見られる精神症状と一致するところが大きいので、

というわけで、一般的には発達障害は脳の障害ととらえられています。

食事がつくる発達障害①の1 「生活リズム」 

去る9月21日、毎月恒例の「ココロとからだセミナー」を開催しました。

テーマは「食事がつくる発達障害」第1話 タンパクとビタミン・ミネラルのお話、だったのですが、栄養の前に知っておきたいことがありました。

それは、最近読んだ、文教大学教授 成田奈緒子先生の「『発達障害』と間違われる子供たち」成田先生は小児科医であり、ずい分以前より「早寝 早起き 朝ごはん」という非常に語呂の良いスローガンを掲げて子供の良好な精神発達を目指す、子供の脳科学の専門家です。

この本には、子供の脳の発達には順序があって、正しい順番に発達させなければならないと書かれています。

体の脳(土台)がしっかりしていると安定
体の脳が育っていないとバランスを崩しやすい

①からだの脳:呼吸・体温調節など、生きて行くために不可欠な脳

②おりこうさん脳:言語・計算・スポーツ等に必要な脳

③心の脳:想像力を働かせる、判断する、など人らしい脳力をつかさどる脳

これがこの順番に育たなければ、何かでバランスを崩すと「発達障害もどき」になる、と言うのです。

そして、からだの脳は、「寝る」「起きる」「食べる」など基本的な生活リズムを身につけることで育つのだそう。そう、「早寝 早起き 朝ごはん」です。

子育ての目標は、立派な原始人を作ること!!!と断言しています。

そして、発達障害かも・・・と言われたら、あるいは思ったら、すべき事

病院に行く前に、生活リズムが整っているかチェック

  ちゃんと食べているか、ちゃんと寝ているか

まずは朝早く起きる➡子供の興味を引くようなもので起こす

勉強を頑張らせ過ぎない(睡眠時間を削らない)

それを実行しても、なお改善しなければ初めて、病院へ・・・と書かれていました。

「発達障害もどき」とは、発達障害が、子供の行動のチェックリストなどで比較的安易に診断され、投薬されたりしてしまうことがある現状において、まず生活リズムが大事と訴える成田先生の苦肉の「造語」なのです。

これ、食事内容以前の最も大切な事ですね。それを無視して食事の話をするわけにはいかん、と思い、セミナーの初めの時間を結構割いて、成田先生の本の内容をご紹介しました。

そしてさらに、私は「ちゃんと食べる」に、「何をどのように食べる?」を加えると、「発達障害もどき」がもっと減るはず!と思っているのです。

本題は、次回から・・・・

父が天国に・・・

去る8月27日、満中陰の法要、父は天国に旅立った。

その10日あまり前、お盆休みに帰省したが、折しも台風7号が実家和歌山の紀伊半島を直撃するコースで襲ってきつつあった。一人になって不安がる母のために、台風襲来前に実家に向かい、母と台風の通り過ぎる時間を一緒に過ごした。

当日、雨の中和歌山入りする私を母が心配したので、車中で、阪神淡路大震災を思い出していた。コースや通過時間があらかじめわかっている台風に向かうより、余震がいつ来るかわからない大地震後の現地に向かう方がよほど怖いではないか。

1995年に私が住んでいた神戸を襲った大震災。その時2歳になったばかりの長女、4ヶ月になったばかりの次女と夫の私たち家族は、震度7をたたき出した神戸市中央区に住んでいた。幸い家屋の倒壊には見舞われなかったが、家具がぐちゃぐちゃになった部屋をどうにか片づけ、水もガスも止まってしまった自宅マンションで二晩過ごした。すぐ近所の民家で何カ所か火事が起こったのを目にして、もしここに火が来てしまったら、二人の娘を守ることができるだろうか?給水の行列のどうやって並ぶのだろう?という不安に駆られ、神戸市北区で大きな被害を免れた大学時代の親友宅に一家で転がり込んだ。

それを知った両親(今の自分の年齢くらいだった)は、高速道路が寸断し、いつ余震が起こるかもしれない中、危険を顧みずに、走ったこともない山道をたどりたどり、和歌山から食料をもって迎えに来てくれた。そして、夫が一人で住めるよう、もどったマンションを掃除し、トイレタンクに水を満たして、私と幼い娘たちを実家に連れ帰ってくれたのだ。倒れた阪神高速の撤去作業中の国道43号線をくぐり抜けて、車の比較的少ない夜中に・・・

思えば、子供のころ、習字も計算も父に教わった。毎月習字教室で清書して「書の友」に出品する作品にはいつも父からダメ出しがあり、父がOKと言ってくれるまで書き直した。わからない算数の宿題は父に聞くと、(中学受験でいう「方陣算」とか「つるかめ算」などのテクニックを知らない父は)まずは方程式を使って答えを出し、その後小学生の私にもわかる教え方を考えて丁寧に教えてくれた。そんな宿題が出た日には、必ず友達の何人かから「教えて」と電話がかかり、父に教わったことを電話でわかるように一生懸命教えてあげた。当時はそれがちょっと面倒に思ったものだが、算数の問題を深く理解する復習だった。おそらく私は良くも悪くも父に認められたくて頑張ったんだなあ。

少し成長すると、巌とした父の言葉や考えに反発もした。そもそも、高2のころ、家庭科が好きで、家政科の大学に進学するか、学校の先生になるため教育学部に進学するか迷っていた私に、「百姓と先生しか見たことがないから、それしか思いつかんのや。お前は医学部に行け。」と言って強引に医学の道に進ませたのは他ならぬ父である。その時は、強い反感を抱いて衝突し、父を恨んだものだが、渡辺淳一の「花埋み」を「これおもしろいから読んでみ」と言われ、うっかり読んでしまって、日本初の女性医師に興味を抱いてしまい、気が付いたら医学部を目指していた。

時には体罰も厭わない、厳しくて近寄りがたい父だったが、大学進学後、7回もの引っ越しのたびに必ずトラックで駆け付け、力仕事を請け負ってくれ、晩年には、筋力の衰えた身体で懸命に野菜や果物を作って私たちに収穫を楽しませてくれた。

決してやさしい言葉をかけたりニコニコ笑顔を振りまく人ではなかったが、それが父の愛情表現だったのだ。

四十九日が済んで、あの世で数少ない気の合う友人に会えただろうか?なかなかに知的でユーモアがあるが、偏屈でもある父である。間を取り持つ母のいないあの世で上手くやっているだろうか?

父の大腿骨骨折の顛末

今年6月紀伊半島を線状降水帯が通った日、父が転んで大腿骨骨折、入院となった。

3年前の冬に脳梗塞で入院し、外科的処置はかえって危険、打つ手なしとして暖かくなるのを待って退院した父である。脳梗塞の退院後、私は1週間実家に滞在して実家の調味料や油を全て見直し、朝食をパンからご飯に変更、牛乳を豆乳にかえ、野菜とタンパク質をしっかり摂ることを母に伝授した。そして、血液の凝固と炎症を抑制するオメガ3オイル、血管内脱水を防ぐ血中タンパクをアップするためアミノ酸や消化酵素、エネルギー産生に不可欠なビタミン・ミネラルなど、父の病状に合わせサプリメントを処方した。

長年二人で守ってきた畑でみかんや野菜を作りながら、いつまでも父と暮らしたいと強く願う母は、私の指導を一生懸命実行し、父のために美味しい食事を用意して、父の世話をすることを生き甲斐にした。(たまには私に内緒で禁断の好物を適度にこっそり食べていたのも、食養生を楽しく長続きさせる秘訣だったかもしれない。)

そして、父は、積極的治療を断念するという英断を下してくださった治療経験豊富な脳外科の先生に、「自分が今までやってきたこと(血管内手術)はいったい何だったんだろう」と言わしめるほどの回復を見せ、脱水によって血栓ができる危険を伴う暑い夏と、血管収縮によって血栓が詰まりやすい寒い冬を2度無事にこすことができた。

一時は認知機能が落ち、字もまっすぐに書くことができなかった父が、達筆でまっすぐの字が書けるようになり、毎日きれいに血圧の記録をつけていた。雨の日や夜は、元々好きだった本を山積みにしながら書斎にこもり、晴れた日には畑に出かけて私たち子どもや孫たちに収穫の喜びを味わわせるためにせっせと野菜を作ってくれていた。食欲は旺盛で、4月には私と娘が作ったお花見弁当を、お花見を楽しみながら美味しい美味しいと言ってペロッと平らげた。徐々に筋力は落ちてはいたものの、元気に暮らし、地元出身の鎌倉時代の高層、明恵上人ゆかりの高山寺(京都)へ行くツアーを楽しみにしていた。

そんな6月のある日、転倒して骨折。高齢者の大腿骨折は寝たきりの原因、あるいは命とりの大事件である。大雨でずぶぬれになった父は某市民病院に運ばれた。金属のインプラントで固定していた大腿骨の古傷の骨折が判明した。

脳梗塞再発予防の抗凝固剤(いわゆる血液サラサラの薬)が中止され、手術は2週間後と決まった。5月中旬にコロナウイルス感染症はインフルエンザと同等の感染症5類に格下げとなって約1か月経っていたが、病院はまだ厳戒態勢。病院入り口で手の消毒と検温、訪問者は住所と名前を記帳させられ、面会は1日に家族2人、15分まで、食べ物の持ち込みは禁止。おまけに飲んでいたサプリメントはすべて中止・・・

当初は、「もとより元気になって退院する。」と言っていた父であったが、手術を待つ間に食欲が落ち、だんだんやせ衰え、徐々に生気を失っていった。1週間もしないうちに、実の娘と、弟の奥さんの区別すらつかなくなり、提供された食事を口に入れても噛むこともできなくなった。ベッドサイドの看護師さんの食事記録には「半量摂取」と書かれていたが、到底半分も飲み込める状態にはみえない。見るに見かねて、たまたま院長と知り合いだった弟が頼み込んで何とか電解質輸液をしてもらった。

脱水状態が改善されると、再び前日とは見違えるように元気になり、こっそり持参した好物のバナナ、トマト、豆乳、甘酒を「美味しい」と言いながらパクパク食べ、「こんな生きのいい食事は病院にはないんや」「食べるという事はエネルギーのいることなんや。エネルギーがなくなったら食べることもできなくなる。」と言った。つまり食事をする元気も出ない、娘を判別することもできないほどの脱水状態だったのだ。それほど食事がとれていなかったのだ。その日、「頑張って元気になってな。」と父とハイタッチしたのが、父との最後の会話になった。

この極度の脱水状態(点滴の直前)の血液検査データは、血液濃縮が著明なはずにも関わらず、低タンパクと貧血が明らかだった。(血液が濃縮すると、血清タンパクや赤血球の濃度が相対的に上がり、実際より高い数値が出る)

術前の栄養状態の改善が必須(急務)と考えた私は、ゼリータイプのアミノ酸と腸機能を上げるドリンクを購入し、看護師さんの目を盗んで与えることを母と妹とともに画策したが、禁止されていることを限られた時間内にすることは思った以上に難しく、なかなか実行できないまま手術の日を迎えた。

術後、手術は非常に上手くいった、と整形外科の主治医はおっしゃり、「歩けるようになりますよ。」と言って母を喜ばせたが、父が麻酔から覚めることはなく、意識が戻らぬまま一晩過ごした挙句に「術後脳梗塞」と診断された。MRIの所見は絶望的で、広範囲に梗塞が広がり、そのまま危篤状態となっている。

脳梗塞が判明したとたん、術前とは打って変わって、入れ代わり立ち代わり担当医・看護師が手厚い処置をして下さるようになった。酸素マスクが装着され、輸血され、経鼻栄養が導入された。しかし、どんなに手厚い処置を施されても、父の脳のダメージは戻ることはない。

けがや手術という侵襲は、出血と炎症により通常の2倍近くものタンパクはじめ栄養素が必要になる。予備力がなく消化機能も衰えた高齢者の場合、食事以外に高カロリー、高タンパクの栄養ドリンクなどで補うくらい、時には術前に胃ろうからチューブで栄養補給するくらい、特に厳重な栄養管理が必要なのだ。そうしなければ、せっかく手術をして骨を修復しても、それを動かす筋肉がやせ衰えて、立つことができなくなるのだ。特に父の場合、低タンパクは血管内脱水を来し、血栓形成のリスクが増すため、十分なタンパク摂取は必須だった。

それなのに、入院しているにも関わらず栄養失調で衰弱したまま手術の日を迎え、病院スタッフの誰もが、それに気づかず、疑問も持たない。それが脳梗塞のリスクを高めたとは誰も思っていない「高齢者の大腿骨折は命取りになる。」のは常識と考えられているし、「抗凝固剤を中止したのだから、脳梗塞のリスクが上がるのは致し方ない。」からだ。みんな、日本の医療の常識の中で一生懸命仕事をしている。「栄養療法」を知らなかった頃の自分がそうであったように。

これはたまたま父が入院した病院だけの問題ではない。今の日本の医療の現状なのだ。せっかく高い技術できれいな手術をしても、筋力が衰えて立てなくなったり、麻痺で動かなくなったり、身体が死んでしまっては意味がない。「高齢者の骨折が命取りになる。」というのは、「骨折」そのものが命取りになるのではなく、骨折の前後の全身管理、特に栄養管理が全身状態を損なう事が大きな要因と痛感した。

高齢者の血液データは読みづらいというが、読みづらいとわかっているデータになぜ頼るのか。本人の言動や食事、元気度をみる視点が、「食べる」という最も重要な事を大切にする視点があれば、もっと救える命があるのではないか?何も難しいことではない。家族でも素人でも分かることなのだ、と声を大にして言いたかった。

父の場合は、両頸動脈梗塞の既往があり、ハイリスクだったため、どんなに厳重な管理をしても上手くいかなかったかもしれないが、低アルブミンによる脱水がなければ梗塞再発のリスクは減らせたかもしれない。せめて十分に面会させてもらえて、こっそりとでも十分な栄養補給が術前にできていれば、こんなにも悔いは残らなかったと思う。

弱毒となったコロナウイルスの感染を回避するという名目で漫然と行われていた面会制限、面会を制限し、食べ物の持ち込み不可と言い渡しておきながら手足が不自由となり、半分寝たまま不自由な手足で食事できない老人の食事が進まない事を軽視し、どれほど大きな意味があるかも知らないサプリメントを一方的に中止させる病院の体制。通常処方される保険薬ならば、さして意味のない薬が漫然と投与されていても入院後も機械的に継続されるのに。。。

今この時も、病院のスタッフたちは、気道確保に細心の注意を払い、おそらく呼吸中枢まで脳梗塞が進んだ、助かる見込みのない父の命が一分一秒でも長らえるよう、日夜一生懸命働いてくれている。

その矛盾に、早く日本の医療が、気づいてほしい、と願ってやまない。

パワースポットを訪ねて

松山市の隣東温市の知る人ぞ知る秘境、滑川渓谷。さんざん車でくねくねと山を登っていくと、軒下におそらくお風呂を沸かすためであろう薪が積まれた民家がまばらに・・・もっと狭い山道を恐る恐る上っていくと駐車場。そして、駐車場からさらに歩いて30分ほど山を登る。

このあたりではもうスマホの電波も弱くなり、むしろ周囲の木々のパワーを感じる。これぞ天然の電磁波フリースペース。ちょろちょろと岩肌を這う清流(滑川の源流らしい)が流れる斜面を登っていくと、肩にかけたリュックが(多分)電磁波が抜けて筋力がアップするせいで軽くなるの、ホントに。体から毒素が抜けるような、ちょっとビックリな体験。

気の遠くなるような年月の間の地殻変動と自然の植物の成長が作り上げたものである事を、断層や地面に露出したり、岩肌からぶら下がっている「木々の根っこ」が物語る。

最後の犬は娘の愛犬モコ 子どもは娘の長男 なぜかスマホを・・・

そして、行きつく先にはしぶきを上げて落ちる滝。滝口の周囲を取り囲む木々が私たちを見下ろすかのように茂る。頭上では風が作るゴーっという音が鳴る。まさに龍の声か。この場所は「龍の腹」と呼ばれている。「便利」から離れて大自然に抱かれたとき、生物の体は最大限に能力を発揮するのだろうと、本当に素直に納得できた。

昔からパワースポットと言われる場所の多くで得られる体感は、電磁波の少ないエリアで自身の体の機能が発揮しやすくなる時に感じる感覚なのかもしれない 。

そう言いながら、こうして「ブログ」などという、自然とかけ離れたものを書いているのが、矛盾なんだよね〜

いやホント。

栄養療法が誕生した数十年前は、栄養を整えるだけで多くの人が改善したと思われる。今は、栄養療法を駆使しても改善しない人が増えていると感じる。そしてその主な背景は「心理(ストレス)」と私は考えていた。 それも間違いではない。

しかし、数十年前と今の電磁波の量が桁違いなんで、栄養療法の限界を作っている主因の一つに電磁波があるのか、と腑に落ちた旅だった。

電磁波フリーハウス

電磁波フリー環境では、脳のシグナル伝達のロスがなくなるため
筋力が強くなる。(唸り声は室内犬)

5月24日、愛媛県松山市でファスティングと電磁波の講師としてご活躍の「みゆきさん」のお宅にお邪魔しました。みゆきさんのお宅は電磁波を極限まで減らすべく改装したり対策器具をそこここに設置したりしたおうち。ついでに、PM2.5などの有害物質も高性能に除去できる空気清浄機も設置されています。

分子栄養学を学ぶ友人と3人伊丹から飛行機で松山入りし、松山在住の長女と合流。電磁波フリーハウスの見学が主目的だったが、みゆきさん、ついでに電磁波の講義をして熱く語って下さり、予想以上にとても有意義な訪問でした。

右は筋力実験。みゆきさんが思いっきり腕を引っ張り、被検者が足を踏ん張ることができるか。電磁波のある環境ではすぐに体勢を崩してしまうのに、電磁波対策の器具を十分使用すると、脳の電気信号がズムースに筋肉にいきわたるため、同じ負荷をかけても踏ん張ることができるんです。いや実はみゆきさんの筋力もアップしているので、負荷はむしろ電磁波対策時の方が増強しているのに、です。

岩塩を舐めて味を感じる体験もした。電磁波対策なしではしょっぱい塩。対策下では感覚神経の機能が良くなり、微妙な旨味を感じることができるため、塩味にうま味が加わり、しょっぱさが軽減して明らかに美味しくなってびっくりです。

電磁波は特に、頭蓋骨が薄く発達の著しい子供の脳に大きく影響します。発達障害に対しては、栄養療法よりも効果が早いとのこと。しかも対策にお金はかかるが努力や我慢があまりいらない! 少なくとも、今後の治療方針の中にもっと組み込む必要性を強く感じました。(スマホを長時間または寝る前に見るのは避ける事、夜間のWi-Fiを極力OFFにする事、夜間スマホを機内モードにする事くらいの指導しかしていなかったなあ。反省。)

ところで、このおうちに滞在している間、私は、頭重感と肩こりから解放され、黄砂の時期にいつも咳が出る長女の咳がぴたりと止まっていました。このおうちを訪れた方は、肩こりや頭痛、喘息、チックなどの症状がウソのように消え、外に出たとたんに症状が出る、という事は、珍しくないのだそうです。

翌日は松山市のお隣、東温市のパワースポット、滑川渓谷へ。

次女が帰ってきたよ♪ & ワクワク家庭菜園♪

姑が住んでいた夫の実家(我が家から車で15分)、震災後に再建して姑のお気に入りだった家に住人がいなくなって4か月余り、片づけがようやく済んで結婚して離れていた次女夫婦が住むことになった。

二人はおばあちゃんのお気に入りの家と食器やアートフラワー、家具などをそのまま引き継いでくれる。四天王寺の狭~いマンションに住んでいた二人は、神田川よろしくぜいたく品は一切持たず、買わずつつましく暮らしていたので、おばあちゃんのおさがりを喜んで使ってくれることになったのだ。

故障したお風呂の修理で、納品が遅れるやら解体工事で家じゅう粉塵だらけになっていったん住めない状態になるやら、ハプニングが色々あったが、ようやく落ち着きそうだ。

ハプニング中のおよそ2週間、二人は我が家に居候していたので、人が増えると家事が増え、朝が早いやら夜が遅いやら、年寄り二人でひっそり暮らしていた我が家の生活は乱れに乱れ、睡眠不足になってしまった。やっとそれが終わると思うと、嬉しいような寂しいような・・・

ところで、次女は管理栄養士、その夫は保育士。いずれは幼児教育に食育を取り入れたいという夢を持っている二人の希望で、我が家の狭い庭を畑に改造した。わが夫は畑仕事には全く興味がないが、決められた任務は確実に遂行してくれるので、もっぱら毎日の水やり当番。あとの三人で畑を管理するという暗黙の了解。

手始めにきゅうり、なす、ミニトマト、パプリカの苗を買って植えた。どれもスクスク育ってきている。次女の大好物スモモとブルーベリーも植えてみた。欲張りすぎて密度が高くて失敗するのではという一抹の不安が・・・

紫の花が落ちた後に、紫の可愛い小さな茄子ができてきているぞ!収穫の喜びはもうすぐ!!

今日は小松菜とラディッシュの種を植えてみた。ワクワク♪

久々の現地開催

ちょっと休憩して「臨床分子栄養医学研究会」私が属している研究会のセミナーの話です。

月2回のセミナーが、コロナ禍以後すべてZOOM開催となり、通う必要がなく楽ちんになった代わり、仲間との交流が途絶えてしまっていた。

3か月ほど前からようやくリアル会場での開催(ZOOMとのハイブリッド)が再開され、昨日久々に大阪会場で現地参加した。ホントに久々の懇親会にも参加した。

現地に行くのは大変だが、やはり学ぶ集中力が違うし、症例検討会や雑談で、同じ志を持つ仲間同士の交流を深めるのがいかに勉強するモチベーションになり、楽しく、必要な事かを再認識した。

あ~久々に楽しかった~。