父が天国に・・・

去る8月27日、満中陰の法要、父は天国に旅立った。

その10日あまり前、お盆休みに帰省したが、折しも台風7号が実家和歌山の紀伊半島を直撃するコースで襲ってきつつあった。一人になって不安がる母のために、台風襲来前に実家に向かい、母と台風の通り過ぎる時間を一緒に過ごした。

当日、雨の中和歌山入りする私を母が心配したので、車中で、阪神淡路大震災を思い出していた。コースや通過時間があらかじめわかっている台風に向かうより、余震がいつ来るかわからない大地震後の現地に向かう方がよほど怖いではないか。

1995年に私が住んでいた神戸を襲った大震災。その時2歳になったばかりの長女、4ヶ月になったばかりの次女と夫の私たち家族は、震度7をたたき出した神戸市中央区に住んでいた。幸い家屋の倒壊には見舞われなかったが、家具がぐちゃぐちゃになった部屋をどうにか片づけ、水もガスも止まってしまった自宅マンションで二晩過ごした。すぐ近所の民家で何カ所か火事が起こったのを目にして、もしここに火が来てしまったら、二人の娘を守ることができるだろうか?給水の行列のどうやって並ぶのだろう?という不安に駆られ、神戸市北区で大きな被害を免れた大学時代の親友宅に一家で転がり込んだ。

それを知った両親(今の自分の年齢くらいだった)は、高速道路が寸断し、いつ余震が起こるかもしれない中、危険を顧みずに、走ったこともない山道をたどりたどり、和歌山から食料をもって迎えに来てくれた。そして、夫が一人で住めるよう、もどったマンションを掃除し、トイレタンクに水を満たして、私と幼い娘たちを実家に連れ帰ってくれたのだ。倒れた阪神高速の撤去作業中の国道43号線をくぐり抜けて、車の比較的少ない夜中に・・・

思えば、子供のころ、習字も計算も父に教わった。毎月習字教室で清書して「書の友」に出品する作品にはいつも父からダメ出しがあり、父がOKと言ってくれるまで書き直した。わからない算数の宿題は父に聞くと、(中学受験でいう「方陣算」とか「つるかめ算」などのテクニックを知らない父は)まずは方程式を使って答えを出し、その後小学生の私にもわかる教え方を考えて丁寧に教えてくれた。そんな宿題が出た日には、必ず友達の何人かから「教えて」と電話がかかり、父に教わったことを電話でわかるように一生懸命教えてあげた。当時はそれがちょっと面倒に思ったものだが、算数の問題を深く理解する復習だった。おそらく私は良くも悪くも父に認められたくて頑張ったんだなあ。

少し成長すると、巌とした父の言葉や考えに反発もした。そもそも、高2のころ、家庭科が好きで、家政科の大学に進学するか、学校の先生になるため教育学部に進学するか迷っていた私に、「百姓と先生しか見たことがないから、それしか思いつかんのや。お前は医学部に行け。」と言って強引に医学の道に進ませたのは他ならぬ父である。その時は、強い反感を抱いて衝突し、父を恨んだものだが、渡辺淳一の「花埋み」を「これおもしろいから読んでみ」と言われ、うっかり読んでしまって、日本初の女性医師に興味を抱いてしまい、気が付いたら医学部を目指していた。

時には体罰も厭わない、厳しくて近寄りがたい父だったが、大学進学後、7回もの引っ越しのたびに必ずトラックで駆け付け、力仕事を請け負ってくれ、晩年には、筋力の衰えた身体で懸命に野菜や果物を作って私たちに収穫を楽しませてくれた。

決してやさしい言葉をかけたりニコニコ笑顔を振りまく人ではなかったが、それが父の愛情表現だったのだ。

四十九日が済んで、あの世で数少ない気の合う友人に会えただろうか?なかなかに知的でユーモアがあるが、偏屈でもある父である。間を取り持つ母のいないあの世で上手くやっているだろうか?

父の大腿骨骨折の顛末

今年6月紀伊半島を線状降水帯が通った日、父が転んで大腿骨骨折、入院となった。

3年前の冬に脳梗塞で入院し、外科的処置はかえって危険、打つ手なしとして暖かくなるのを待って退院した父である。脳梗塞の退院後、私は1週間実家に滞在して実家の調味料や油を全て見直し、朝食をパンからご飯に変更、牛乳を豆乳にかえ、野菜とタンパク質をしっかり摂ることを母に伝授した。そして、血液の凝固と炎症を抑制するオメガ3オイル、血管内脱水を防ぐ血中タンパクをアップするためアミノ酸や消化酵素、エネルギー産生に不可欠なビタミン・ミネラルなど、父の病状に合わせサプリメントを処方した。

長年二人で守ってきた畑でみかんや野菜を作りながら、いつまでも父と暮らしたいと強く願う母は、私の指導を一生懸命実行し、父のために美味しい食事を用意して、父の世話をすることを生き甲斐にした。(たまには私に内緒で禁断の好物を適度にこっそり食べていたのも、食養生を楽しく長続きさせる秘訣だったかもしれない。)

そして、父は、積極的治療を断念するという英断を下してくださった治療経験豊富な脳外科の先生に、「自分が今までやってきたこと(血管内手術)はいったい何だったんだろう」と言わしめるほどの回復を見せ、脱水によって血栓ができる危険を伴う暑い夏と、血管収縮によって血栓が詰まりやすい寒い冬を2度無事にこすことができた。

一時は認知機能が落ち、字もまっすぐに書くことができなかった父が、達筆でまっすぐの字が書けるようになり、毎日きれいに血圧の記録をつけていた。雨の日や夜は、元々好きだった本を山積みにしながら書斎にこもり、晴れた日には畑に出かけて私たち子どもや孫たちに収穫の喜びを味わわせるためにせっせと野菜を作ってくれていた。食欲は旺盛で、4月には私と娘が作ったお花見弁当を、お花見を楽しみながら美味しい美味しいと言ってペロッと平らげた。徐々に筋力は落ちてはいたものの、元気に暮らし、地元出身の鎌倉時代の高層、明恵上人ゆかりの高山寺(京都)へ行くツアーを楽しみにしていた。

そんな6月のある日、転倒して骨折。高齢者の大腿骨折は寝たきりの原因、あるいは命とりの大事件である。大雨でずぶぬれになった父は某市民病院に運ばれた。金属のインプラントで固定していた大腿骨の古傷の骨折が判明した。

脳梗塞再発予防の抗凝固剤(いわゆる血液サラサラの薬)が中止され、手術は2週間後と決まった。5月中旬にコロナウイルス感染症はインフルエンザと同等の感染症5類に格下げとなって約1か月経っていたが、病院はまだ厳戒態勢。病院入り口で手の消毒と検温、訪問者は住所と名前を記帳させられ、面会は1日に家族2人、15分まで、食べ物の持ち込みは禁止。おまけに飲んでいたサプリメントはすべて中止・・・

当初は、「もとより元気になって退院する。」と言っていた父であったが、手術を待つ間に食欲が落ち、だんだんやせ衰え、徐々に生気を失っていった。1週間もしないうちに、実の娘と、弟の奥さんの区別すらつかなくなり、提供された食事を口に入れても噛むこともできなくなった。ベッドサイドの看護師さんの食事記録には「半量摂取」と書かれていたが、到底半分も飲み込める状態にはみえない。見るに見かねて、たまたま院長と知り合いだった弟が頼み込んで何とか電解質輸液をしてもらった。

脱水状態が改善されると、再び前日とは見違えるように元気になり、こっそり持参した好物のバナナ、トマト、豆乳、甘酒を「美味しい」と言いながらパクパク食べ、「こんな生きのいい食事は病院にはないんや」「食べるという事はエネルギーのいることなんや。エネルギーがなくなったら食べることもできなくなる。」と言った。つまり食事をする元気も出ない、娘を判別することもできないほどの脱水状態だったのだ。それほど食事がとれていなかったのだ。その日、「頑張って元気になってな。」と父とハイタッチしたのが、父との最後の会話になった。

この極度の脱水状態(点滴の直前)の血液検査データは、血液濃縮が著明なはずにも関わらず、低タンパクと貧血が明らかだった。(血液が濃縮すると、血清タンパクや赤血球の濃度が相対的に上がり、実際より高い数値が出る)

術前の栄養状態の改善が必須(急務)と考えた私は、ゼリータイプのアミノ酸と腸機能を上げるドリンクを購入し、看護師さんの目を盗んで与えることを母と妹とともに画策したが、禁止されていることを限られた時間内にすることは思った以上に難しく、なかなか実行できないまま手術の日を迎えた。

術後、手術は非常に上手くいった、と整形外科の主治医はおっしゃり、「歩けるようになりますよ。」と言って母を喜ばせたが、父が麻酔から覚めることはなく、意識が戻らぬまま一晩過ごした挙句に「術後脳梗塞」と診断された。MRIの所見は絶望的で、広範囲に梗塞が広がり、そのまま危篤状態となっている。

脳梗塞が判明したとたん、術前とは打って変わって、入れ代わり立ち代わり担当医・看護師が手厚い処置をして下さるようになった。酸素マスクが装着され、輸血され、経鼻栄養が導入された。しかし、どんなに手厚い処置を施されても、父の脳のダメージは戻ることはない。

けがや手術という侵襲は、出血と炎症により通常の2倍近くものタンパクはじめ栄養素が必要になる。予備力がなく消化機能も衰えた高齢者の場合、食事以外に高カロリー、高タンパクの栄養ドリンクなどで補うくらい、時には術前に胃ろうからチューブで栄養補給するくらい、特に厳重な栄養管理が必要なのだ。そうしなければ、せっかく手術をして骨を修復しても、それを動かす筋肉がやせ衰えて、立つことができなくなるのだ。特に父の場合、低タンパクは血管内脱水を来し、血栓形成のリスクが増すため、十分なタンパク摂取は必須だった。

それなのに、入院しているにも関わらず栄養失調で衰弱したまま手術の日を迎え、病院スタッフの誰もが、それに気づかず、疑問も持たない。それが脳梗塞のリスクを高めたとは誰も思っていない「高齢者の大腿骨折は命取りになる。」のは常識と考えられているし、「抗凝固剤を中止したのだから、脳梗塞のリスクが上がるのは致し方ない。」からだ。みんな、日本の医療の常識の中で一生懸命仕事をしている。「栄養療法」を知らなかった頃の自分がそうであったように。

これはたまたま父が入院した病院だけの問題ではない。今の日本の医療の現状なのだ。せっかく高い技術できれいな手術をしても、筋力が衰えて立てなくなったり、麻痺で動かなくなったり、命が尽きてしまっては意味がない。「高齢者の骨折が命取りになる。」というのは、「骨折」そのものが命取りになるのではなく、骨折の前後の全身管理、特に栄養管理が全身状態を損なう事が大きな要因と痛感した。

高齢者の血液データは読みづらいというが、読みづらいとわかっているデータになぜ頼るのか。本人の言動や食事、元気度をみる視点が、「食べる」という最も重要な事を大切にする視点があれば、もっと救える命があるのではないか?何も難しいことではない。家族でも素人でも分かることなのだ、と声を大にして言いたかった。

父の場合は、両頸動脈梗塞の既往があり、ハイリスクだったため、どんなに厳重な管理をしても上手くいかなかったかもしれないが、低アルブミンによる脱水がなければ梗塞再発のリスクは減らせたかもしれない。せめて十分に面会させてもらえて、こっそりとでも十分な栄養補給が術前にできていれば、こんなにも悔いは残らなかったと思う。

弱毒となったコロナウイルスの感染を回避するという名目で漫然と行われていた面会制限、面会を制限し、食べ物の持ち込み不可と言い渡しておきながら手足が不自由となり、半分寝たまま不自由な手足で食事できない老人の食事が進まない事を軽視し、どれほど大きな意味があるかも知らないサプリメントを一方的に中止させる病院の体制。通常処方される保険薬ならば、さして意味のない薬が漫然と投与されていても入院後も機械的に継続されるのに。。。

今この時も、病院のスタッフたちは、気道確保に細心の注意を払い、おそらく呼吸中枢まで脳梗塞が進んだ、助かる見込みのない父の命が一分一秒でも長らえるよう、日夜一生懸命働いてくれている。

その矛盾に、早く日本の医療が、気づいてほしい、と願ってやまない。

パワースポットを訪ねて

松山市の隣東温市の知る人ぞ知る秘境、滑川渓谷。さんざん車でくねくねと山を登っていくと、軒下におそらくお風呂を沸かすためであろう薪が積まれた民家がまばらに・・・もっと狭い山道を恐る恐る上っていくと駐車場。そして、駐車場からさらに歩いて30分ほど山を登る。

このあたりではもうスマホの電波も弱くなり、むしろ周囲の木々のパワーを感じる。これぞ天然の電磁波フリースペース。ちょろちょろと岩肌を這う清流(滑川の源流らしい)が流れる斜面を登っていくと、肩にかけたリュックが(多分)電磁波が抜けて筋力がアップするせいで軽くなるの、ホントに。体から毒素が抜けるような、ちょっとビックリな体験。

気の遠くなるような年月の間の地殻変動と自然の植物の成長が作り上げたものである事を、断層や地面に露出したり、岩肌からぶら下がっている「木々の根っこ」が物語る。

最後の犬は娘の愛犬モコ 子どもは娘の長男 なぜかスマホを・・・

そして、行きつく先にはしぶきを上げて落ちる滝。滝口の周囲を取り囲む木々が私たちを見下ろすかのように茂る。頭上では風が作るゴーっという音が鳴る。まさに龍の声か。この場所は「龍の腹」と呼ばれている。「便利」から離れて大自然に抱かれたとき、生物の体は最大限に能力を発揮するのだろうと、本当に素直に納得できた。

昔からパワースポットと言われる場所の多くで得られる体感は、電磁波の少ないエリアで自身の体の機能が発揮しやすくなる時に感じる感覚なのかもしれない 。

そう言いながら、こうして「ブログ」などという、自然とかけ離れたものを書いているのが、矛盾なんだよね〜

いやホント。

栄養療法が誕生した数十年前は、栄養を整えるだけで多くの人が改善したと思われる。今は、栄養療法を駆使しても改善しない人が増えていると感じる。そしてその主な背景は「心理(ストレス)」と私は考えていた。 それも間違いではない。

しかし、数十年前と今の電磁波の量が桁違いなんで、栄養療法の限界を作っている主因の一つに電磁波があるのか、と腑に落ちた旅だった。

電磁波フリーハウス

電磁波フリー環境では、脳のシグナル伝達のロスがなくなるため
筋力が強くなる。(唸り声は室内犬)

5月24日、愛媛県松山市でファスティングと電磁波の講師としてご活躍の「みゆきさん」のお宅にお邪魔しました。みゆきさんのお宅は電磁波を極限まで減らすべく改装したり対策器具をそこここに設置したりしたおうち。ついでに、PM2.5などの有害物質も高性能に除去できる空気清浄機も設置されています。

分子栄養学を学ぶ友人と3人伊丹から飛行機で松山入りし、松山在住の長女と合流。電磁波フリーハウスの見学が主目的だったが、みゆきさん、ついでに電磁波の講義をして熱く語って下さり、予想以上にとても有意義な訪問でした。

右は筋力実験。みゆきさんが思いっきり腕を引っ張り、被検者が足を踏ん張ることができるか。電磁波のある環境ではすぐに体勢を崩してしまうのに、電磁波対策の器具を十分使用すると、脳の電気信号がズムースに筋肉にいきわたるため、同じ負荷をかけても踏ん張ることができるんです。いや実はみゆきさんの筋力もアップしているので、負荷はむしろ電磁波対策時の方が増強しているのに、です。

岩塩を舐めて味を感じる体験もした。電磁波対策なしではしょっぱい塩。対策下では感覚神経の機能が良くなり、微妙な旨味を感じることができるため、塩味にうま味が加わり、しょっぱさが軽減して明らかに美味しくなってびっくりです。

電磁波は特に、頭蓋骨が薄く発達の著しい子供の脳に大きく影響します。発達障害に対しては、栄養療法よりも効果が早いとのこと。しかも対策にお金はかかるが努力や我慢があまりいらない! 少なくとも、今後の治療方針の中にもっと組み込む必要性を強く感じました。(スマホを長時間または寝る前に見るのは避ける事、夜間のWi-Fiを極力OFFにする事、夜間スマホを機内モードにする事くらいの指導しかしていなかったなあ。反省。)

ところで、このおうちに滞在している間、私は、頭重感と肩こりから解放され、黄砂の時期にいつも咳が出る長女の咳がぴたりと止まっていました。このおうちを訪れた方は、肩こりや頭痛、喘息、チックなどの症状がウソのように消え、外に出たとたんに症状が出る、という事は、珍しくないのだそうです。

翌日は松山市のお隣、東温市のパワースポット、滑川渓谷へ。

次女が帰ってきたよ♪ & ワクワク家庭菜園♪

姑が住んでいた夫の実家(我が家から車で15分)、震災後に再建して姑のお気に入りだった家に住人がいなくなって4か月余り、片づけがようやく済んで結婚して離れていた次女夫婦が住むことになった。

二人はおばあちゃんのお気に入りの家と食器やアートフラワー、家具などをそのまま引き継いでくれる。四天王寺の狭~いマンションに住んでいた二人は、神田川よろしくぜいたく品は一切持たず、買わずつつましく暮らしていたので、おばあちゃんのおさがりを喜んで使ってくれることになったのだ。

故障したお風呂の修理で、納品が遅れるやら解体工事で家じゅう粉塵だらけになっていったん住めない状態になるやら、ハプニングが色々あったが、ようやく落ち着きそうだ。

ハプニング中のおよそ2週間、二人は我が家に居候していたので、人が増えると家事が増え、朝が早いやら夜が遅いやら、年寄り二人でひっそり暮らしていた我が家の生活は乱れに乱れ、睡眠不足になってしまった。やっとそれが終わると思うと、嬉しいような寂しいような・・・

ところで、次女は管理栄養士、その夫は保育士。いずれは幼児教育に食育を取り入れたいという夢を持っている二人の希望で、我が家の狭い庭を畑に改造した。わが夫は畑仕事には全く興味がないが、決められた任務は確実に遂行してくれるので、もっぱら毎日の水やり当番。あとの三人で畑を管理するという暗黙の了解。

手始めにきゅうり、なす、ミニトマト、パプリカの苗を買って植えた。どれもスクスク育ってきている。次女の大好物スモモとブルーベリーも植えてみた。欲張りすぎて密度が高くて失敗するのではという一抹の不安が・・・

紫の花が落ちた後に、紫の可愛い小さな茄子ができてきているぞ!収穫の喜びはもうすぐ!!

今日は小松菜とラディッシュの種を植えてみた。ワクワク♪

久々の現地開催

ちょっと休憩して「臨床分子栄養医学研究会」私が属している研究会のセミナーの話です。

月2回のセミナーが、コロナ禍以後すべてZOOM開催となり、通う必要がなく楽ちんになった代わり、仲間との交流が途絶えてしまっていた。

3か月ほど前からようやくリアル会場での開催(ZOOMとのハイブリッド)が再開され、昨日久々に大阪会場で現地参加した。ホントに久々の懇親会にも参加した。

現地に行くのは大変だが、やはり学ぶ集中力が違うし、症例検討会や雑談で、同じ志を持つ仲間同士の交流を深めるのがいかに勉強するモチベーションになり、楽しく、必要な事かを再認識した。

あ~久々に楽しかった~。

ファスティング(断食)

去る3月半ば、私の所属する分子栄養学の研究会で、グループファスティングに参加した。2年前と昨年は3日ファスティング、今回は主人と5日ファスティングに挑戦。今回は娘夫婦も3日ファスティングに参加した。

最近、特にダイエットのためファスティングはちょっとしたブームになっているらしい。

私はやせっぽっちなので体重を減らしたくはないが、そんな人にとっては腸機能を上げて摂取した栄養をしっかり吸収」利用できるようにしてくれるのがファスティング。要するに適正体重になる・・・はず。

ファスティング前2日間は準備食で基本は例の「まごわやさしい」。注意点は小麦、乳製品、トランス脂肪酸、添加物、砂糖、アルコール、カフェインなどをOFF、ここまでは普段から習慣にしている食事なので特に問題なし。ただ、動物性たんぱく質は消化の負担が大きいのでOFFする。

ファスティング中は酵素ドリンクを頻回に飲みながらたっぷり水分を摂って、ミネラル補給のため岩塩をなめたり、岩塩で漬けた梅干しを使った梅湯と飲む。時に水便が出て、腸を洗浄している気分。ちなみに私が使用している酵素ドリンクや岩塩、梅干しなどは分子栄養学の勉強仲間が販売している無農薬食材で作った無添加の物です。ファスティング中は胃腸が敏感になりますし、解毒の目的もあるので、少しでも「毒」は入れないという趣旨に賛同しました。

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良い睡眠とれていますか?

先日、クリニックで恒例の「ココロとからだセミナー」を開催しました。

都合がつく限り必ず来てくださるメンバーが2,3人、という、超人気セミナー(笑)今回は「睡眠」の話。

睡眠の原因には以下の5つようなものがあります。

・生理的原因:交代勤務やシフト制、時差、寝室の環境、スマホなど  

・心理的要因:ストレスや悩み、緊張、別れなど人生の大きな変化 

・身体的原因:痒み、痛み、下痢、咳、発熱、加齢など 

・精神医学的原因:うつ病、統合失調症、アルコール依存症など

・薬理学的原因:中枢神経抑制薬、降圧剤、抗がん剤、ステロイド、カフェインなど

そして睡眠障害には以下の4つの種類があります。もちろん混合している場合もよくあります。

・入眠困難 ・途中覚醒 ・早朝覚醒 ・熟眠障害

良い睡眠をとるためには、生活習慣が重要です。特に、脳のスイッチのON、OFF

<脳のスイッチをON>

 ・早起き

 ・朝食をよく噛んで食べる

 ・朝日を浴びる

 ・仕事(活動)は午前中に集中して

 ・日中できるだけからだを動かす

<脳のスイッチをOFF>

 ・夕方早く仕事を終える

 ・入浴は寝る90分前に終える:40℃、肩まで浸かって1015

   深部体温をいったん上げて下がる頃に眠くなる

 ・部屋の明かりは薄暗く、音楽を聴くなどしてボーっと過ごす

 ・寝具:背中を温める、締め付けの少ないパジャマ、靴下は履かない

    電気毛布やアンカは就寝前にOFF

    良眠には深部体温をさげることが必要で、手掌足底は覆わないほうが良い。

 ・アイマスクはお勧め (目とくびを温める)

と、ここまでは一般的にも良く言われていること。

実は、ここからが本題です。

熟眠障害には自覚がない場合も結構あるってご存知でしょうか?例えば

□寝汗 □寝違え □夢を見る □朝から疲れている

□食いしばり・歯ぎしり □朝ごはんが食べられない

□お通じ(排便)が困難   など。

思い当たる人は少なくないはず。

実はこれらの症状、交感神経の刺激によるアドレナリンの作用なんです!なんで、夜間に興奮系の脳内ホルモン、アドレナリンが出てしまうのか!その犯人は、「夜間低血糖」

食事をとらない夜間の血糖は脳下垂体から分泌される成長ホルモンと、副腎皮質から分泌されるコルチゾールが支えているんです。

どちらも栄養不足、ストレス、睡眠不足、砂糖の摂りすぎ、カフェイン、アルコール、腸環境の悪化、スマホなどの電磁波や光などの影響を大きく受けて低下してしまいます。そうすると血糖を上げるホルモンのバックアップ隊アドレナリンの出動です。睡眠前野睡眠中にアドレナリンが出ると、目が覚めてしまったり、悪夢を見たりして睡眠の質が悪くなります。「分かっていてもやめられない」と言われそうなものばかりだけど、知っているといないでは大違い!

心当たりのある方、このブログの栄養療法のカテゴリーに入っているタイトル、特に2022/1/26「低血糖症」の回、2022/2/6「低血糖症対策 補食」の回を復習してみてください。私の患者さんでも、根気よく取り組んで眠剤が要らなくなった方、大勢います!

まごわやさしい

体に美味しい食卓を作る合言葉のようによく言われる「まごわやさしい」

ま:豆など穀物類

ご:ごまなど種実類

わ:わかめなど海藻類

や:やさい

さ:さかな

し:しいたけなどキノコ類

い:イモ類

これにお肉を加えて「まごにわやさしい」とかさらに果物を加えて「まごにわやさしいか」とかアレンジ版も見かける。

わざわざ語呂合わせしなくてもだいたいすべてを食べておられる方には当たり前で不要だが、朝はパンとコーヒー、昼は麺類、夜はビールとおつまみ、みたいな食事をされている方は意識するといいですね。と言っても、そんな食事をされている方は、残念ながらこのブログを読んではおられないでしょうけど・・・

先週末に豆とゴマではない本物の「まご」がやってきた。娘の同僚の(コロナで)延びに延びた結婚式のため。コロナ禍、新郎新婦さんも式場側も大変だ。

一方、夫と私は日曜日は朝から夕方まで二人で孫の相手に明け暮れた。

ジャングルジム滑り台を置いて「リー君ランド」になったリビングでしっかり歩いて遊具で遊ぶたくましい1歳半。先日亡くなったおばあちゃんは「昨日できたことが今日はできなくなった」と毎日嘆いていたが、孫は「昨日できなかったことが今日は出来る」を毎日更新している。

少し前はそれを見たら逆におばあちゃんを思い出して、ちょっぴりせつない気持ちになっていたが、今はこれが命を繋ぐという事なんだと思える。

私、当初は「おばあちゃん」、「ばあば」とは言わせずなんと呼ばせよう、と思案していたが、滑り台をすべるのを見せようと「ばー」と呼ばれたら、「はいは~い、ばあばですよ!」と喜び勇んで駆けつけてしまう、正真正銘のバババカになっていた。

娘は上手く手抜きしながら子供の心身の成長に必要な栄養を考えて、可能な限り自然の食材で食事やおやつを与えている。そのためか、同年代の幼児に比べても精神状態は安定し、体力も意欲もある。(これこそバババカ?)

孫に限らず、将来を担う全ての子供たちの未来のために、私はもうちょっと元気でいて栄養療法をひろめなければ・・・という思いを新たにした週末でした。

満中陰の法要

ブログを読んで何人かの患者さんと友人が姑のお悔やみを言ってくださった。こんなに更新の遅いブログを読んでくれている人がいるんだなあ、と有難く思う。

3/27に、諸事情で少し早く満中陰の法要を行った。

白木のお膳に小さな白い食器。毎日いつも一緒に食べていた朝ごはんやお弁当のおかずや好物のスープを、「もう細かく刻まなくても食べられるね」と言いながら少しずつよそう。なんでもないこの行為が、少しずつ姑がいなくなった事を穏やかに受け入れさせてくれるような気がする。

姑は亡くなる最後の一か月くらい、食欲が落ちていく中、鶏がらを煮込んだスープ(ボーンブロス)だけは美味しいと言っておかわりしていた。「骨髄にはミネラルとアミノ酸が豊富に含まれ胃腸を癒す」と、患者さんにいつも勧めているボーンブロスは、やはり命のスープなのだ。

韓国の薬膳料理「サムゲタン(参鶏湯)」、中国の薬膳料理「ジータン(鶏湯)」もボーンブロスだし、日本の家庭料理「うしお汁」は魚のあらを使ったいわば和風ボーンブロスだ。現在のように「科学的根拠」とか「エビデンス」とか言わない大昔の人々は身体に美味しい食事を経験的に知っていたのだ。かたや現代人は「科学」に目を奪われ過ぎて、体の声を聴き忘れていないか?

それはともかく、姑の自宅の片づけをしていると、幼少時の家族写真や読んだ本の一説を書き留めた書付がたくさん出てきた。最後まで読書が大好きな人だった。本が、とくに晩年の姑の哲学を形成した大きな要因だったことがよくわかる。生前いつも口にしていた言葉の真意が理解できる。

こうして、故人を思い出しながら食膳を用意し、遺影を見ながら手を合わせ、遺品から私の知らない姑の一面を垣間見て、過去の記憶をより良いモノに作る作業をする。それが四十九日の意味なのだと初めて理解した。

そろそろ天国に近づいている頃だろうか。おしゃべり好きで好奇心旺盛なおかあさん、道草したり知らない人に声をかけて質問攻めにしているだろうか。おしゃべりしすぎて道に迷わないよう、無事に天国に到着しますように。。。