次女が帰ってきたよ♪ & ワクワク家庭菜園♪

姑が住んでいた夫の実家(我が家から車で15分)、震災後に再建して姑のお気に入りだった家に住人がいなくなって4か月余り、片づけがようやく済んで結婚して離れていた次女夫婦が住むことになった。

二人はおばあちゃんのお気に入りの家と食器やアートフラワー、家具などをそのまま引き継いでくれる。四天王寺の狭~いマンションに住んでいた二人は、神田川よろしくぜいたく品は一切持たず、買わずつつましく暮らしていたので、おばあちゃんのおさがりを喜んで使ってくれることになったのだ。

故障したお風呂の修理で、納品が遅れるやら解体工事で家じゅう粉塵だらけになっていったん住めない状態になるやら、ハプニングが色々あったが、ようやく落ち着きそうだ。

ハプニング中のおよそ2週間、二人は我が家に居候していたので、人が増えると家事が増え、朝が早いやら夜が遅いやら、年寄り二人でひっそり暮らしていた我が家の生活は乱れに乱れ、睡眠不足になってしまった。やっとそれが終わると思うと、嬉しいような寂しいような・・・

ところで、次女は管理栄養士、その夫は保育士。いずれは幼児教育に食育を取り入れたいという夢を持っている二人の希望で、我が家の狭い庭を畑に改造した。わが夫は畑仕事には全く興味がないが、決められた任務は確実に遂行してくれるので、もっぱら毎日の水やり当番。あとの三人で畑を管理するという暗黙の了解。

手始めにきゅうり、なす、ミニトマト、パプリカの苗を買って植えた。どれもスクスク育ってきている。次女の大好物スモモとブルーベリーも植えてみた。欲張りすぎて密度が高くて失敗するのではという一抹の不安が・・・

紫の花が落ちた後に、紫の可愛い小さな茄子ができてきているぞ!収穫の喜びはもうすぐ!!

今日は小松菜とラディッシュの種を植えてみた。ワクワク♪

久々の現地開催

ちょっと休憩して「臨床分子栄養医学研究会」私が属している研究会のセミナーの話です。

月2回のセミナーが、コロナ禍以後すべてZOOM開催となり、通う必要がなく楽ちんになった代わり、仲間との交流が途絶えてしまっていた。

3か月ほど前からようやくリアル会場での開催(ZOOMとのハイブリッド)が再開され、昨日久々に大阪会場で現地参加した。ホントに久々の懇親会にも参加した。

現地に行くのは大変だが、やはり学ぶ集中力が違うし、症例検討会や雑談で、同じ志を持つ仲間同士の交流を深めるのがいかに勉強するモチベーションになり、楽しく、必要な事かを再認識した。

あ~久々に楽しかった~。

ファスティング(断食)

去る3月半ば、私の所属する分子栄養学の研究会で、グループファスティングに参加した。2年前と昨年は3日ファスティング、今回は主人と5日ファスティングに挑戦。今回は娘夫婦も3日ファスティングに参加した。

最近、特にダイエットのためファスティングはちょっとしたブームになっているらしい。

私はやせっぽっちなので体重を減らしたくはないが、そんな人にとっては腸機能を上げて摂取した栄養をしっかり吸収」利用できるようにしてくれるのがファスティング。要するに適正体重になる・・・はず。

ファスティング前2日間は準備食で基本は例の「まごわやさしい」。注意点は小麦、乳製品、トランス脂肪酸、添加物、砂糖、アルコール、カフェインなどをOFF、ここまでは普段から習慣にしている食事なので特に問題なし。ただ、動物性たんぱく質は消化の負担が大きいのでOFFする。

ファスティング中は酵素ドリンクを頻回に飲みながらたっぷり水分を摂って、ミネラル補給のため岩塩をなめたり、岩塩で漬けた梅干しを使った梅湯と飲む。時に水便が出て、腸を洗浄している気分。ちなみに私が使用している酵素ドリンクや岩塩、梅干しなどは分子栄養学の勉強仲間が販売している無農薬食材で作った無添加の物です。ファスティング中は胃腸が敏感になりますし、解毒の目的もあるので、少しでも「毒」は入れないという趣旨に賛同しました。

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良い睡眠とれていますか?

先日、クリニックで恒例の「ココロとからだセミナー」を開催しました。

都合がつく限り必ず来てくださるメンバーが2,3人、という、超人気セミナー(笑)今回は「睡眠」の話。

睡眠の原因には以下の5つようなものがあります。

・生理的原因:交代勤務やシフト制、時差、寝室の環境、スマホなど  

・心理的要因:ストレスや悩み、緊張、別れなど人生の大きな変化 

・身体的原因:痒み、痛み、下痢、咳、発熱、加齢など 

・精神医学的原因:うつ病、統合失調症、アルコール依存症など

・薬理学的原因:中枢神経抑制薬、降圧剤、抗がん剤、ステロイド、カフェインなど

そして睡眠障害には以下の4つの種類があります。もちろん混合している場合もよくあります。

・入眠困難 ・途中覚醒 ・早朝覚醒 ・熟眠障害

良い睡眠をとるためには、生活習慣が重要です。特に、脳のスイッチのON、OFF

<脳のスイッチをON>

 ・早起き

 ・朝食をよく噛んで食べる

 ・朝日を浴びる

 ・仕事(活動)は午前中に集中して

 ・日中できるだけからだを動かす

<脳のスイッチをOFF>

 ・夕方早く仕事を終える

 ・入浴は寝る90分前に終える:40℃、肩まで浸かって1015

   深部体温をいったん上げて下がる頃に眠くなる

 ・部屋の明かりは薄暗く、音楽を聴くなどしてボーっと過ごす

 ・寝具:背中を温める、締め付けの少ないパジャマ、靴下は履かない

    電気毛布やアンカは就寝前にOFF

    良眠には深部体温をさげることが必要で、手掌足底は覆わないほうが良い。

 ・アイマスクはお勧め (目とくびを温める)

と、ここまでは一般的にも良く言われていること。

実は、ここからが本題です。

熟眠障害には自覚がない場合も結構あるってご存知でしょうか?例えば

□寝汗 □寝違え □夢を見る □朝から疲れている

□食いしばり・歯ぎしり □朝ごはんが食べられない

□お通じ(排便)が困難   など。

思い当たる人は少なくないはず。

実はこれらの症状、交感神経の刺激によるアドレナリンの作用なんです!なんで、夜間に興奮系の脳内ホルモン、アドレナリンが出てしまうのか!その犯人は、「夜間低血糖」

食事をとらない夜間の血糖は脳下垂体から分泌される成長ホルモンと、副腎皮質から分泌されるコルチゾールが支えているんです。

どちらも栄養不足、ストレス、睡眠不足、砂糖の摂りすぎ、カフェイン、アルコール、腸環境の悪化、スマホなどの電磁波や光などの影響を大きく受けて低下してしまいます。そうすると血糖を上げるホルモンのバックアップ隊アドレナリンの出動です。睡眠前野睡眠中にアドレナリンが出ると、目が覚めてしまったり、悪夢を見たりして睡眠の質が悪くなります。「分かっていてもやめられない」と言われそうなものばかりだけど、知っているといないでは大違い!

心当たりのある方、このブログの栄養療法のカテゴリーに入っているタイトル、特に2022/1/26「低血糖症」の回、2022/2/6「低血糖症対策 補食」の回を復習してみてください。私の患者さんでも、根気よく取り組んで眠剤が要らなくなった方、大勢います!

まごわやさしい

体に美味しい食卓を作る合言葉のようによく言われる「まごわやさしい」

ま:豆など穀物類

ご:ごまなど種実類

わ:わかめなど海藻類

や:やさい

さ:さかな

し:しいたけなどキノコ類

い:イモ類

これにお肉を加えて「まごにわやさしい」とかさらに果物を加えて「まごにわやさしいか」とかアレンジ版も見かける。

わざわざ語呂合わせしなくてもだいたいすべてを食べておられる方には当たり前で不要だが、朝はパンとコーヒー、昼は麺類、夜はビールとおつまみ、みたいな食事をされている方は意識するといいですね。と言っても、そんな食事をされている方は、残念ながらこのブログを読んではおられないでしょうけど・・・

先週末に豆とゴマではない本物の「まご」がやってきた。娘の同僚の(コロナで)延びに延びた結婚式のため。コロナ禍、新郎新婦さんも式場側も大変だ。

一方、夫と私は日曜日は朝から夕方まで二人で孫の相手に明け暮れた。

ジャングルジム滑り台を置いて「リー君ランド」になったリビングでしっかり歩いて遊具で遊ぶたくましい1歳半。先日亡くなったおばあちゃんは「昨日できたことが今日はできなくなった」と毎日嘆いていたが、孫は「昨日できなかったことが今日は出来る」を毎日更新している。

少し前はそれを見たら逆におばあちゃんを思い出して、ちょっぴりせつない気持ちになっていたが、今はこれが命を繋ぐという事なんだと思える。

私、当初は「おばあちゃん」、「ばあば」とは言わせずなんと呼ばせよう、と思案していたが、滑り台をすべるのを見せようと「ばー」と呼ばれたら、「はいは~い、ばあばですよ!」と喜び勇んで駆けつけてしまう、正真正銘のバババカになっていた。

娘は上手く手抜きしながら子供の心身の成長に必要な栄養を考えて、可能な限り自然の食材で食事やおやつを与えている。そのためか、同年代の幼児に比べても精神状態は安定し、体力も意欲もある。(これこそバババカ?)

孫に限らず、将来を担う全ての子供たちの未来のために、私はもうちょっと元気でいて栄養療法をひろめなければ・・・という思いを新たにした週末でした。

満中陰の法要

ブログを読んで何人かの患者さんと友人が姑のお悔やみを言ってくださった。こんなに更新の遅いブログを読んでくれている人がいるんだなあ、と有難く思う。

3/27に、諸事情で少し早く満中陰の法要を行った。

白木のお膳に小さな白い食器。毎日いつも一緒に食べていた朝ごはんやお弁当のおかずや好物のスープを、「もう細かく刻まなくても食べられるね」と言いながら少しずつよそう。なんでもないこの行為が、少しずつ姑がいなくなった事を穏やかに受け入れさせてくれるような気がする。

姑は亡くなる最後の一か月くらい、食欲が落ちていく中、鶏がらを煮込んだスープ(ボーンブロス)だけは美味しいと言っておかわりしていた。「骨髄にはミネラルとアミノ酸が豊富に含まれ胃腸を癒す」と、患者さんにいつも勧めているボーンブロスは、やはり命のスープなのだ。

韓国の薬膳料理「サムゲタン(参鶏湯)」、中国の薬膳料理「ジータン(鶏湯)」もボーンブロスだし、日本の家庭料理「うしお汁」は魚のあらを使ったいわば和風ボーンブロスだ。現在のように「科学的根拠」とか「エビデンス」とか言わない大昔の人々は身体に美味しい食事を経験的に知っていたのだ。かたや現代人は「科学」に目を奪われ過ぎて、体の声を聴き忘れていないか?

それはともかく、姑の自宅の片づけをしていると、幼少時の家族写真や読んだ本の一説を書き留めた書付がたくさん出てきた。最後まで読書が大好きな人だった。本が、とくに晩年の姑の哲学を形成した大きな要因だったことがよくわかる。生前いつも口にしていた言葉の真意が理解できる。

こうして、故人を思い出しながら食膳を用意し、遺影を見ながら手を合わせ、遺品から私の知らない姑の一面を垣間見て、過去の記憶をより良いモノに作る作業をする。それが四十九日の意味なのだと初めて理解した。

そろそろ天国に近づいている頃だろうか。おしゃべり好きで好奇心旺盛なおかあさん、道草したり知らない人に声をかけて質問攻めにしているだろうか。おしゃべりしすぎて道に迷わないよう、無事に天国に到着しますように。。。

姑の旅立ち

以前ブログに登場した姑が92歳でとうとう天国へ旅立った。旅立ちの時に着せてと言っていたスモークピンクのワンピースを着て、お気に入りの「カワウソのぬいぐるみの湯たんぽ」を抱いて・・・

令和4年に入ってから、とみに足腰が弱り、伝い歩きがギリギリ出来るという状態だった。毎日「昨日できたことが今日はできなくなってる。」「何にもできなくなって・・・」というのが口癖で、実際食器を運ぶこともボタンを留めることも、トイレに行くこともままならなくなってきていた。

最期の1か月のその衰え方は顕著で、頭は比較的しっかりしていた姑が自分の体の衰えを感じる辛さがヒシヒシ伝わったが、私は「何もできない事ないよ。自分でご飯が食べられてトイレに行けてるから十分立派よ。」と言い続けるしかなかった。

「あんたに忙しい思いさせる。」というのにも、「私が忙しいのはお姑さんのせいではないよ。病院勤務の頃と比べたらパラダイス!」と答えたが、姑は私の負担を少しでも減らそうとするかの様に「ここにいたら何もかも全部してもらうから、自分が動けなくなってしまう。人の何倍も時間がかかるけど、自分の家にいたらすることがたくさんある。」とか「寒いから家から出たくない。」と言っては週のうち半分くらいはもとの自宅に帰りたがった。

少しでも体の機能を残したい気持ち、住み慣れた自分の家で気を遣うことなく過ごす気楽さ、さみしさ、不安、おそらく様々な気持ちと闘いながら姑の自宅と長男の家である我が家を行ったり来たりしていた。

亡くなる1週間ほど前「お弁当を配達してもらってトイレに行けて、どうにかお風呂に入れたら一人で暮らせると思ってたけど違うね。もう気力がないから、何にもしたくなくなった。」と言った。常日頃退屈が大嫌いで常に手芸や読書をし、尊厳死協会に入って何もしないで生きていることを何より嫌っていた姑である。

送り迎えの車の乗り降りも難しくなりつつあり、そろそろ完全に同居かなと思っていた矢先、その日がやってきた。

腸穿孔。たまたま自分の家に帰っていた日の朝、激しい腹痛が起こり、電話がかかってくる。「おなかが痛くて冷や汗が出てる。」たまたま祝日で自宅にいた夫と私は朝食も摂らずに急いで駆け付け、病院に運んだが、翌日帰らぬ人となった。

年齢に不足はない。大往生である。ここ1か月くらいは姑はおそらくお迎えを待っていたと思う。私も穏やかなお迎えが来てくれることが姑の願いだと思っていたし、本当に体が動かなくなってしまう前にそうなることを願っていた。

もう少し穏やかなお迎えだったらと悔やまれるが、どうしようもないのだと知った。こんなことなら十分状況が整えば家族が安楽死させてあげられるのも悪くないんじゃないかと思ってしまった。

コロナ以前は世話好きで、人に与えるのが好きで、自分の脚で30分以上かけて歩いて(通常なら徒歩10分)図書館や百貨店に行っては、好きな本を読み、百貨店の店員さんとおしゃべりを楽しんで、買い物をするのが大好きだった。時には無駄なぜいたく品を買わされてきて「げっ」と思うことはあり(笑)、万が一施設に入るようなことがあった時のために少しはお金を残しておいて欲しいなあと思わないではなかったが、自分の年金で楽しむ買い物で経済を回してあげているんだと思うことにしていた。

ところがコロナ禍でデイサービスがお休みになり、出歩くことを自粛するうち、足腰が目に見えて弱ってきた。一時は3人の医療関係者が暮らす我が家にいるのも危険という事で、自宅に帰る日が増えて、おそらく会話も少なくなり、栄養状態も悪化したかもしれない。

高齢者を守るためのコロナ自粛っていったい何なんだろう?コロナに罹らずただ長生きさえすればよいのか?いや、姑はコロナ自粛がなかったら、もっと歩いてもっと元気でいたのではないか?思わずにいられない。

それはともかく、私はその日を迎えたときに「お姑さんは幸せに天国に行ったね」って思えるように接し、言葉がけをしていたつもりだった。でもこうしていつもいた姑がもう帰ってくることがなくなってしまった今・・・

「自分でご飯が食べられてトイレに行けてるから十分立派よ。」 ではなく、「たとえ何も出来なくても生きているだけでいいのよ。」と言ってあげたらよかった。

「私が忙しいのはお姑さんのせいではないよ。」ではなく「お姑さんがいてくれて楽しい。」と言ってあげたらよかった。何のために心理カウンセリングの勉強をしたのか・・・

この日が最期とわかっていたら、「足が動かなくなってもいいから、もう最後までうちで一緒にご飯食べようよ 。」と言ってあげられたのに・・・

すべてあとの祭りである。その時は必死過ぎてそんな名回答思いつかなかったんです。お姑さん、ごめんね。優しい姑である。きっと許してくれているだろう、と思う事にする。

姑は自宅の仏壇の前にメモを残して旅立っていた。「十万回ありがとう。さようなら。」仏壇の引き出しにしまっていた(生前遺影に使いたいと言っていた)写真を探しに行った時、メモを見つけて号泣した。

「おかあさん、こちらこそ、ありがとう。」  合掌

心機一転

2022年が始まった。ブログの更新が滞っていることは常に頭の片隅で気になっており、しかし優先順位の高い仕事をするためと自分の健康状態を損なわないためにあえて考えないようにしていた。

なぜそんなことになったのか・・・

理由の一つはご縁あって昨年11月から月1回強のペースでNHKカルチャーのオンライン講座の講師をさせて頂いていること。もともとのクリニックでのセミナーも月一回あり、常にセミナー資料作成に追われている。いかんことではあるが、本業の栄養療法の診療がまだ繁盛していない事がせめてもの救いである。認めたくはないがもともと凝り性らしい私、講義のスライドがほぼ完成してからもずっと追加修正を繰り返して少しでも分かりやすい物をと一つのセミナーに何十時間もの時間を費やしてしまう。(その割に難しかったとか言われて落ち込んだことも・・・笑)時給300円くらい?の仕事・・・しかし収益を考えなければ楽しい。

もう一つの理由(おそらくこれが主原因)は、ブログの内容を少しでも患者さんたちの役に立つものに・・・と思いすぎてこれまた時間をかけすぎるのだ。だから後回しにしないと他の仕事ができなくなる、となる。

今年届いた年賀状に、「ブログ読んだよ~」と書いて下さった方が何人かいた。有難いなあ。やっぱり続けよう。

というわけで、年末から1歳の孫を連れて帰省していた(てんやわんやだった!!!)娘が昨日帰ったのを機に、ぼちぼちブログを再開することにした。今年は肩ひじ張らず、もっと気軽に書くことにしよう。(もともと長すぎると読んでもらえないかもとわかっているのに・・・アホである。)

再び姑を迎えて

仕事もさることながら私生活がバタバタの今日この頃。というのも、再び同居し始めた姑のデイサービスや介護認定の面談など、仕事の合間の予定が目白押しとなってしまったのだ。ようやく一段落し、気が付いたら1か月もブログを更新していないではないか? 

2017年に86歳で大動脈解離で入院、大動脈置換手術を受け、生死の境をさまよった挙句生還したわが夫の母。集中治療室を出たときには1㎜も体を動かすことができない状態。主治医からは術前に「寝たきりか良くて車椅子」と言われていた姑は、自力でトイレに行けるようになりたい一心で懸命のリハビリをし、何とか歩けてトイレに行けるくらい、奇跡的に回復した。

手術も術後管理もおそらく完璧で、救命して頂いたのは、主治医の先生の卓越した力量、現在西洋医学の力である。しかし、その後の回復はひとえに理学療法士さん、デイサービス、そして何より本人の頑張りのおかげと感服仕切り。そして・・・術後は寝たきり必定の86歳の高齢者にわずかな自己負担で高額な医療費をつぎ込んでくれる日本の医療制度、手厚い介護制度に感謝と同時に疑問の気持ちを持ってしまった。これは、国債という若者たちからの大きな借金で成り立っているのだぞ!

とはいえ、結果的に姑は生還しておまけの人生を楽しむことができた。退院後は我が家に引き取り、日々栄養を考えて食事を用意し、毎日楽しくおしゃべりし、どんどん元気になった姑は、徐々に住み慣れた自宅に帰りたがり、自宅と我が家を半々で過ごすようになり、1年前ごろからはほぼ自宅で一人で過ごし、週末だけ我が家で一緒に食事をするようになるまで回復した。

ところが、です。

コロナ禍で好きだった図書館や百貨店巡りをしなくなり、デイサービスも一時休止、そしてある日の事「老化現象が駆け足でやってきた。体がフラフラする。」と突然電話がかかってきた。急いで迎えに行くと確かに足取りは弱弱しいながら、おしゃべりはわりと元気にでき、呼吸や脈拍、頭も比較的しっかりしている。これは、栄養不足では?

その少し前から、足腰が急激に衰え、料理好きだった姑が「ご飯作るのが大義になってきてね、炊飯器も捨てたの。」と言って、生協の宅配で冷凍食品やパックごはんをせっせと買い込むようになっていた。「お母さんさえよければ、そろそろまたうちに来る?」と言っていた矢先。例の「新型栄養失調ではないか!!!?」

救出して我が家に着いても覇気がなく、いつもなら細かい変化にすぐ気が付いて指摘しないではいられず、私の行動をつぶさに観察して、何か出来そうな家事を私がしようとするとすかさず「そのくらいはしますよ」と言っていた姑が、直前に入れ替えた大きなウォーターサーバーに全く気付かない。食べ終わった食器も以前ならば私が運ぼうとすると「このくらいできます。」と言って少し不自由な足取りでも食器を運んでいた。なのに私がどんなに忙しく動き回っていようが、じっと椅子に腰かけたまま。

私としては、それ(自分が動くこと)は別にいいのだが・・やっぱり寄る年波には勝てないのか、いや、やはり何か異変が起こっているのだ!! 

とはいえ、呼吸や脈拍、血圧には特に問題なく、特段命に係わる緊急事態ではないと判断して、ミネラル、ビタミンをしっかり摂れる食事を食べさせていると、なんと3日もすると「あら、浄水器変えたの?」と目ざとく気づき、私が机の上にほったらかしにしていた書類を見つけては「これ、必要なものじゃないの?」とか、私が出かける時間を気にして「もう出かける用意しはらな」とか、「今日はモカちゃん(愛犬)のお風呂の日でしょ。」とか言い始めた。食事の準備が整ってくると、箸置きにお箸をセットしたり、何か運ぶものはないかとお味噌汁をよそう私の後ろで待ち構えるようになった。(ひっくり返しそうで、汁物を運んでもらいたくないのだが。。。)

「お、元気になってきたな」と喜ぶ半面、ちょっと元気がなくて良い塩梅の運動・認知機能低下が少し懐かしい気もする今日この頃(笑)。

さらに最近、「ここのお食事をいただいていると、眼鏡なしで見えるようになって、編み物や本を読むのが楽しくなったわ。」と言ってくれた。おそらく脳の視覚野が活性化されたのだろう。うれしい。こんな素直な姑の運動・認知機能低下を懐かしがった心の狭い自分を反省した。

日々の栄養摂取の重要性を再認識する超身近な出来事でした。

これが、たまたまじゃないの?と思った方は、このブログを読んでくださる方の中にはいらっしゃらないと思いますが、さらに深めたい方には、消化器外科医 東口高志先生の書かれた『「がん」では死なない「がん患者」』がお勧めです!

適度な不潔が免疫を育てる。

ワクチン接種も済んでコロナ禍の状況にもいい意味で慣れると、過度に怖がることは少なくなってきてはいますが、コロナを恐れるあまり外出を控えすぎて筋力低下を来すお年寄り、経営難でお店をたたむしかなくなった飲食店や関連業者、接客を中心とするお店、職を失った人々、そのためにうつ病や自殺に追い込まれる人々。

「専門家」と言われる方々、マスコミの論調は、相変わらず「3密を避けよ」「手洗いうがい」「移動は極力するな」「マスクをせよ」「会食はするな」です。確かにそれは病原体を回避するという意味では正しいかもしれません。でもその中に、「本人の免疫力」という観点が完全に抜け落ちていると私は思っています。

生活が困窮して栄養事情が劣悪になり、外出が減って紫外線を浴びることが少なくなり、運動する機会が減り、ストレスが長期に持続する事は免疫力を落とし、かえって感染のリスクを高める可能性がないと誰がいえるでしょう?

人間は、いや、地球上の動物は太古の昔から常に病原体にさらされて生きてきました。感染症は病原体だけが起こすものではありません。現に同じ状況にいても感染する人としない人がいます。その違いは「免疫」です。

実は「免疫」は常に病原体に対峙することで訓練をして機能を維持しています。また、それはさらに腸内細菌を増やし腸内の環境を健全にすることで間接的に免疫力を高めます。今のような対応で病原体を避けてばかりいたら、目先は良くても長い目で見ると、免疫の減弱は避けられません。最近「子供に流行」と騒がれているRSウイルスの感染症も、子どもたちが病原体を避けすぎて免疫が低下した結果、かどうかわかりませんが無関係ではないと私は思っています。

過度な清潔がいかに危険か、という事を訴える著書は多数あります。目からうろこの考え方を提起する本をぜひ一度は読んでみてください。腸内細菌の重要性の啓蒙をライフワークとされていた故藤田紘一路先生が翻訳された右の著書、お勧めです。

適度に不潔で病原体にさらされることで、免疫が鍛えられ、適切な腸内細菌を育てることになるのです。

けれど、私たちはもはや太古の昔の野性的な衛生観念には戻ることはできません。ですから、過度な清潔観念を捨てるとともに、免疫を向上させる生活習慣と食習慣を心がけることが必要不可欠なんです。

免疫をあげる具体的な方法は次回に・・・・