姑の旅立ち

以前ブログに登場した姑が92歳でとうとう天国へ旅立った。旅立ちの時に着せてと言っていたスモークピンクのワンピースを着て、お気に入りの「カワウソのぬいぐるみの湯たんぽ」を抱いて・・・

令和4年に入ってから、とみに足腰が弱り、伝い歩きがギリギリ出来るという状態だった。毎日「昨日できたことが今日はできなくなってる。」「何にもできなくなって・・・」というのが口癖で、実際食器を運ぶこともボタンを留めることも、トイレに行くこともままならなくなってきていた。

最期の1か月のその衰え方は顕著で、頭は比較的しっかりしていた姑が自分の体の衰えを感じる辛さがヒシヒシ伝わったが、私は「何もできない事ないよ。自分でご飯が食べられてトイレに行けてるから十分立派よ。」と言い続けるしかなかった。

「あんたに忙しい思いさせる。」というのにも、「私が忙しいのはお姑さんのせいではないよ。病院勤務の頃と比べたらパラダイス!」と答えたが、姑は私の負担を少しでも減らそうとするかの様に「ここにいたら何もかも全部してもらうから、自分が動けなくなってしまう。人の何倍も時間がかかるけど、自分の家にいたらすることがたくさんある。」とか「寒いから家から出たくない。」と言っては週のうち半分くらいはもとの自宅に帰りたがった。

少しでも体の機能を残したい気持ち、住み慣れた自分の家で気を遣うことなく過ごす気楽さ、さみしさ、不安、おそらく様々な気持ちと闘いながら姑の自宅と長男の家である我が家を行ったり来たりしていた。

亡くなる1週間ほど前「お弁当を配達してもらってトイレに行けて、どうにかお風呂に入れたら一人で暮らせると思ってたけど違うね。もう気力がないから、何にもしたくなくなった。」と言った。常日頃退屈が大嫌いで常に手芸や読書をし、尊厳死協会に入って何もしないで生きていることを何より嫌っていた姑である。

送り迎えの車の乗り降りも難しくなりつつあり、そろそろ完全に同居かなと思っていた矢先、その日がやってきた。

腸穿孔。たまたま自分の家に帰っていた日の朝、激しい腹痛が起こり、電話がかかってくる。「おなかが痛くて冷や汗が出てる。」たまたま祝日で自宅にいた夫と私は朝食も摂らずに急いで駆け付け、病院に運んだが、翌日帰らぬ人となった。

年齢に不足はない。大往生である。ここ1か月くらいは姑はおそらくお迎えを待っていたと思う。私も穏やかなお迎えが来てくれることが姑の願いだと思っていたし、本当に体が動かなくなってしまう前にそうなることを願っていた。

もう少し穏やかなお迎えだったらと悔やまれるが、どうしようもないのだと知った。こんなことなら十分状況が整えば家族が安楽死させてあげられるのも悪くないんじゃないかと思ってしまった。

コロナ以前は世話好きで、人に与えるのが好きで、自分の脚で30分以上かけて歩いて(通常なら徒歩10分)図書館や百貨店に行っては、好きな本を読み、百貨店の店員さんとおしゃべりを楽しんで、買い物をするのが大好きだった。時には無駄なぜいたく品を買わされてきて「げっ」と思うことはあり(笑)、万が一施設に入るようなことがあった時のために少しはお金を残しておいて欲しいなあと思わないではなかったが、自分の年金で楽しむ買い物で経済を回してあげているんだと思うことにしていた。

ところがコロナ禍でデイサービスがお休みになり、出歩くことを自粛するうち、足腰が目に見えて弱ってきた。一時は3人の医療関係者が暮らす我が家にいるのも危険という事で、自宅に帰る日が増えて、おそらく会話も少なくなり、栄養状態も悪化したかもしれない。

高齢者を守るためのコロナ自粛っていったい何なんだろう?コロナに罹らずただ長生きさえすればよいのか?いや、姑はコロナ自粛がなかったら、もっと歩いてもっと元気でいたのではないか?思わずにいられない。

それはともかく、私はその日を迎えたときに「お姑さんは幸せに天国に行ったね」って思えるように接し、言葉がけをしていたつもりだった。でもこうしていつもいた姑がもう帰ってくることがなくなってしまった今・・・

「自分でご飯が食べられてトイレに行けてるから十分立派よ。」 ではなく、「たとえ何も出来なくても生きているだけでいいのよ。」と言ってあげたらよかった。

「私が忙しいのはお姑さんのせいではないよ。」ではなく「お姑さんがいてくれて楽しい。」と言ってあげたらよかった。何のために心理カウンセリングの勉強をしたのか・・・

この日が最期とわかっていたら、「足が動かなくなってもいいから、もう最後までうちで一緒にご飯食べようよ 。」と言ってあげられたのに・・・

すべてあとの祭りである。その時は必死過ぎてそんな名回答思いつかなかったんです。お姑さん、ごめんね。優しい姑である。きっと許してくれているだろう、と思う事にする。

姑は自宅の仏壇の前にメモを残して旅立っていた。「十万回ありがとう。さようなら。」仏壇の引き出しにしまっていた(生前遺影に使いたいと言っていた)写真を探しに行った時、メモを見つけて号泣した。

「おかあさん、こちらこそ、ありがとう。」  合掌

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